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英語の勉強における完璧主義は逆に上達を妨げる~TOEIC700点未満だけど偉そうに英語の勉強を語る

コトを語る

英文を反射的に作れるようになるというのは、会話においては絶対必要です。

前回からの流れで、今回、自分が使った教材について書こうと思ったのですが、自分も長年持っていた英語における完璧主義について書こうと思います。

「英語で実際に話すならちゃんと英語ができるようになってから」はよくある思い

外国人と英語を話すなら、まずはちゃんと英語を勉強してから」と思っている方っていませんか?

私は以前はそうでした。自分の中でしっかりと準備ができていないと実際に行動に移せないという思考です。何かをはじめるには、まず道具をしっかりそろえて、ちゃんと予習してからという慎重派?のタイプがこれに該当するかもしれません。

その思考は自分の承認欲から来る

その思考はなぜ起こるのだろうと考えると、結局「自分が恥をかきたくない」という、ある意味、承認欲求からくる考えだと思うに至りました。

承認欲というと、「すごいね」「よくできたね」みたいに誰かから明示的に褒められたい欲のことを指すと思うのが普通かなと思います。でも、実は「恥をかきたくない」というのも、それは「自分はできないのを見せたくない」、つまり「自分はできるというのを相手に示したい」ということになるので、これもりっぱな承認欲と言えるのだそうです。

私は、「反応しない技術」という本でこれを読んで、とても納得したという記憶があります。

今回の記事とは直接関係ありませんが、ブッダの考え方をこの本ではじめて知りました。宗教上で語られる思想はこれまで避けてきていましたが、ブッダそのものは仏教とは関係なく合理的な考え方の持ち主だったのだなとわかりました。

結局、英語の勉強はキリがない。

「英語を勉強する」って、どこまで行ってもキリがないのですよね。

自分が話す日本語を考えるとわかりますが、今だって、漢字が読めない/書けない、語句の意味も正確な意味はわからずにうろ覚えなんてことは結構あります。テレビのクイズ番組で、こうした問題が出されてもほとんど正解できませんものね。

ネイティブの言語である日本語でもその状態ですが、一方で、我々の通常の生活範囲の中では、ほとんど不自由なく日本語でコミュニケーションをすることができています。

そう考えると英語も同じだと思います。無理やり水泳に例えると、何も習わずに、いきなりプールに飛び込むと確実に溺れてしまうのでクロールぐらいは習った方がいいかもしれませんが、速く泳げる必要はないし、背泳ぎも平泳ぎもバタフライも習ってからでないとプールに入れないというわけではないと同じかもしれません。

小さな成功体験を得ると英語学習の完璧主義はなくなる

なので「英語がちゃんとできるまで」という、ある意味で完璧主義的な発想は、実は英語の上達を妨げる一因になるのではとも思います。

英会話では顕著だと思いますが、実際の相手に対して、英語で話して、英語で返されて、それを受けて、次の会話をするという回路は実際に経験しないといつまでたっても作られない気がします。

なので、どこかではエイヤっと実地経験を積む段階が必ず来ますが、そこでは、簡単な英文でも相手に通じたという体験がまずは大事。相手に自分の英語が通じるのだと実感できると、それが自信につながり、多少の失敗は気にしなくなります。だって、それでも自分の英語は通じることはわかっているのだから。

では、いつ実地経験に飛び出すか

私の考えでは、中学校レベルの英作文を頭の中で作って話せそうと思った時です。しかも、受動態とか、関係代名詞とか英語っぽい表現はたどたどしくてもよくて、基本的な文型の文章を作ることができれば十分だと思います。


ということで、次回は、自分が勉強に使った英作文教材について書きます。

ちなみに、繰り返しますが、まだTOEIC 700点に達していない人間が偉そうに語っていますので、そのあたりは差し引いてご覧くださいw

つづく。

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